
6/27(日)はイーグレ姫路の地下アートホールにて教室の発表会を開催します。今年も参加者は少ないですが、この一年の成果をそれぞれの思いで表現してくれる楽しみな会になりそうで私自身も期待が高まっています。
私も5月から9月に延期になってしまったプラテーロとわたしの中から抜粋で何曲か演奏しようと思います。朗読の伊藤さんもご一緒してくれます。
写真は第三回美山ギター音楽祭でも受講した”帰り道”の譜面です。この時はこれでレッスンを受けるのも最後にしようと意気込んで臨んだ機会だったのですが、レッスンで自分の力不足を痛感させられ、悔しくてそのレッスンの後徹夜で練習したのですが、結果妙なハイテンションになった挙句大した成果は上がらずただただ疲労感だけが残ったのを懐かしく思い出します。今思えば一晩徹夜したぐらいで上手くなるわけもないんですけどね、いやー若かった…
この曲”帰り道”は途中で『わたし』が
”帰り道、どうやって、どこに、何のために…”
と呟くシーンがあります。当時はその意味がよくわかってなかったのですが少しづつ腑に落ちてきました。
ヒネメス自身は当初は法律の道を志して上京(?)したのですが、途中で詩の道に心惹かれマドリードでその道を進もうと進路転換します。しかし芸術の道を進むことを応援してくれていた父の死に心の変調をきたし帰郷し一時療養せざるを得なくなります。そのふるさとのモゲールで書かれたのがこのプラテーロとわたし。
プラテーロとわたしの中ではモゲールの自然と素朴な人々の暮らしを賛美する様子も多く描写されているのですが、所々自分は本当にここにいてもいいのだろうかという心の葛藤がほのめかされている部分も散見されます。この”帰り道”も美しい風景の描写とともに、今は遠く離れた都会への郷愁も湧き上がって
”今の自分の居場所は本当にここでいいのだろうか…”
とヒネメスも悩んでいたんじゃないかなと今ならば思えます。自分の居場所はどこなんだろうと。
レッスンを受けていた当時の状況は今思えばこの詩の状況にかなり当てはまっていた気がします。音楽を始めたのも志したのも遅く、周りには才気溢れる若者がいっぱい。本当にこんな状況で音楽を続けてもいいのか、進むべきか止めるべきか。いつもそんな悩みに苛まれていた気がします。
このレッスンを受けた後、この曲を弾くことはなかったです。徹夜の思い出とその当時のキツイ心理状況とがちょっとしたトラウマになっていてこの曲から逃げ出していたのかもしれません。
あれから10年以上経って、今ようやくこの曲としっかり向き合えるようになってきました。あのレッスンの後、グロンドーナが最後に言った言葉の意味がようやくわかってきたような。
”シラクル”
円環という意味かな。これが最後と思っていた自分の気持ちを見透かしたように、この言葉を残してくれました。
”全ては回っている、ここが最後の場所と思い詰めてしまう時もあるかもしれない。ただここは終わりの場所ではない。また巡り合う日も来るだろう。”
10年以上の時をかけて、ようやく一つの円環が繋がりそうな気配がしています。気のせいかもしれないですけど、繋がらないならそれはそれで進めばいいだけですから。
当時、グロンドーナが書き殴るように残した指示もこういうことが言いたいんだろうなと何となくわかるようになりました。少し成長したかな。でもこの人の文字の力はスゴイです。何か勢いだけでどういう方向に弾けばいいのか伝わって来る気がする。この譜面は宝物です。