生也不道、死也不道
道吾という和尚が弟子の漸源を連れて弔問に出かけた。漸源が棺桶を叩いて、「これは生か、死か」と問うと道吾和尚は、「生とも言わぬ、死とも言わぬ」と言う。何度尋ねても「言わぬ」の一点張り。
師が何かを隠していると思った漸源は「言わねば杖で叩くが良いか?」というが、道吾は「生とも言わぬ、死とも言わぬ、杖で叩くのは勝手だが言えぬものはいえない。」というので、とうとう和尚は弟子に杖で打ちのめされたという話。
鈴木大拙の著書からのうろ覚えなので細部はちょっと違うかもしれないけど。
この話を聞いた時にパッと思ったのはこれはシュレディンガーの猫そのものじゃないか、ということ。シュレディンガーは禅にも通じていたんだろうか。
生きているとも死んでいるともいえない。あるともないともいえない。そんな最先端の量子論の萌芽が鎌倉時代に存在していたということなのか。人間の直観の深さはまだまだ科学で計り知れないものなのかもしれない。という独り言でした。
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by onkichi-yu-chi
| 2023-03-29 09:46
| 雑記