クラシックギターは一人でやる独奏が中心になっているので、どれだけ簡単な譜面を渡されても、いざ合奏の現場に放り込まれると戸惑う方も多いと思います。
一人で始まり一人で終わる独奏と違って、合奏は指揮者の指揮を見て弾き出すのですが、何もない空間にポンと音を投げ出すのは結構勇気がいります。休みのパートもありますし、自分が弾いていない時でもしっかりカウントを数えて自分が入るタイミングを待たなければいけない。ずっと一人で弾いているとなかなかこの間が待てなかったりします。
私もずっと独奏でやってましたけど、一時期ギターマンドリンオケで弾いていた時はあまりにも勝手が違って大変だったのを思い出します。ゲネラルパウゼ(楽曲の全停止)部分で一人だけ飛び出してしまったり、弾いている部分が分からなくなって落ちてしまったり、それはそれはもう失敗して恥をかいたものですよ……
ただ合奏には合奏の面白さがあります。自分の音が誰かに支えられたり、あるいは支えたりしながら音楽を作りあげていく楽しさは経験すると病みつきになります。時に自分の力以上を引き出せたりもしますし、どれだけ言葉を尽くしても伝わらない感情も一音で共有出来たりします。
それに合奏で経験した事はそのまま独奏にも役に立ちます。合奏でシンプルなパートに集中した後に独奏曲をもう一度見直してみてください。複雑な独奏曲も分解していけばシンプルなメロディー、ベース、それ以外の三つに分類出来るはずです。それぞれをバラバラに練習して、最後に自分の中の指揮者が統合する。独奏も合奏も最終的にやっていることに変わりはないんですね。
さて、本番まで残り一ヶ月を切ってしまいましたが、みなさん楽しみながら最後まで頑張りましょう!!

するために、楽譜を書き直してみました。
この曲はレゴンディの”夢”という曲です。
レゴンディはロマン派を代表するギタリストの一部で、最近再評価の機運が高まっているギタリストコンポーザーの一人です。ここ数年、演奏会のプログラムにこの人の名前が挙がることが珍しくなくなってきました。
夢はレゴンディの作品の中でも特に有名で弾かれることの多い曲です。トレモロで歌われる旋律がとても美しく、いつかレパートリーに入れたいと考えていたので練習を始めることにしました。
楽譜は32分音符で書かれている旋律を単旋律に書き直しただけなのですが、楽譜の情報量が大幅に減ってページ数も圧縮された上にかなり見やすくなっています。これは昔、現代ギターというギター専門誌に載っていた方法なのですが、実際にやってみるとかなり効果がありましたね。
書き写している時にも色々と発見がありました。この曲が6/8で書かれている夜想曲で、旋律もそのリズムを活かしたものになっていること。ベース音も状況に応じてリズムの形を変えて旋律を支えていること。トレモロなしで弾いてみてもとても奇麗です。調は違うけどヘンツェのノクターンみたいです。そういえば昔はヘンツェのノクターンを遊びでトレモロで弾いてみたりしました。
とまあ楽譜を書いているうちに弾きにくい難曲のイメージがあったこの曲もかなりハードルが下がって取り組み易くなってきた気がします。曲に取り組むにあたって元々もっているその曲に対する先入観を取り除くことは完成までの時間、そして完成度に対しても大きな影響を与えます。難しい…と思って挑戦するとやはり難しくなってしまうんですね。
そのために出来るだけ気楽に曲に取り組んでみる。詰まった時は一度ギターを置いてゆっくりと楽譜を観察してみるのもいいと思います。ギターを弾いている時には気付けなかったことに案外気付いたりするものですよ。
冒頭からすいません。
こんな始まり方でなんですが、今タレガにどハマりしています。
何故か?
何故でしょう?
数年前からいつかは取り上げないといけないと思いながらも、なんとなく食指が伸びなかったのですが、この間のろまん会で取り上げてからですかね。最近はずっとタレガばっかり弾いているような気がします。
タレガの楽曲が要求する技術は自分がもっとも不得意な分野です。
先ずはグリッサンドを伴う左手の縦へのポジション移動。2、3弦での高音部分の多用。
あるフレーズを複数の弦に渡ってとらずに、同じ弦の中でフレーズを取ることが多いので自然に上記のようなことが起きてきます。ギター弾きはじめて結構長い時間が経っているというのに未だにポジション移動が苦手な上に高いところの音が苦手だったりします… これじゃ生徒さんに申し訳が立ちません。
あと軽い音楽の運びを要求しているのに運指は結構重かったりすること。
これはプレリュードなんかの音楽を弾いている時に良く思うんですが、左手の抑える指の数が多い和音の頻繁な変更が出てきます。左手は抑える指の本数が増えてくると次の和音への移動が遅くなり、和音の処理が重たくなってきます。ただタレガの音楽はそこを重くせずに軽くすることを要求してくるので相当な左手の柔軟性と機動性が必要になってくるのです、どちらも持ち合わせていないのでこれがキツい…
ただ、そんな困難があっても弾きたいと思わせる魅力があります。
昔はもっとギターがバチバチとなるような曲が好きで(今でも好きですが)、タレガは地味なイメージが拭えなかったのですが。最近になってタレガの音楽の豊かさ、歌の魅力に気付ける様になりました。
克服しなければいけない技術的音楽的困難を乗り越えるための課題、そして今の自分の音楽の指向性がかみ合ってタレガを選んだのかもしれません。そう思えば偶然ではなく必然、今がそのタイミングというやつですね。
今はマズルカやポルカ、ワルツ、パヴァーヌといった舞曲系を弾き直してますけど、プレリュード群も面白そうなので一度しっかり目を通してみたいです。また楽しみが増えてきました。
ハウザーはドイツを代表する名工で四代に渡ってギター製作を行なっています。
ギタリストなら誰もが一度は憧れる銘器を使って演奏出来る機会なんて滅多にあるものではありません。嬉しさと恐れ多い気持ちが半分半分くらいで本番を迎えました。いったいどんな反応をしてくれるのだろうかと…
当日は藤村良くんが最初にソロで、続いて僕がソロ。最後に二人で二重奏という構成でした。ソロは二人ともハウザーを使わせてもらいました。自分のソロはソルのカプリス、タレガの小品を4曲演奏しました。
最初のソルの演奏に入る時何故か上手くいきそうな予感がしました。藤村君の熱演の後で会場も温まっていたのですが不思議に心が落ち着いていました。リハーサルの時には感じなかったのですが調弦している時にあまりにいい音がするので思わずにやにやしてたと思います。
最初に弾いたソルは自分で言うのもなんですがいい出来だったと思います。自分の作りたい音楽の方向性を楽器の方が先に察知してくれるような感じで、楽器が指し示した方向に音をポンポンと置いていけばそれで音楽が出来上がるような不思議な感覚。どこまでも透き通った音が会場に満ちていくようで演奏が終わってしまうのが勿体なかったです。
まあそれで調子にのってしまったのかなあ…タレガの方はちょっと駄目でした…
もともと不安を抱えていたのですが、ソルの方が上手くいったので楽器がなんとかしてくれるかな?なんて甘い気持ちを持ってしまったのがいけなかったのか、あそこは一度心を落ち着けて慎重に入らないとといけなかったです…楽器の反応も”ツーン”って感じでした。
”ソルの方はまあまあ出来てたから協力してやる、タレガの方はまだまだだな、やり直し”
って楽器に言われたような気がしました。自分がある程度しっかりとした方向性をもって臨まないと楽器の方も反応してくれないように思いました。ハウザー恐るべしです。
演奏後に北口先生が
”演奏者の力を越える楽器を扱うのは演奏者にとっても試練だ”
と仰ってましたが、その言葉の意味が骨の髄にまで沁みました。まだまだ自分の手に負えるような楽器ではなかったですが、その力の一端に触れることが出来たのはとても貴重な経験になりました。いつかこういう楽器に相応しい演奏家になれるように頑張ろうと思います。