
パルナソスマンドリンオーケストラの定期演奏会にOBとして賛助出演してきました。
教室を主催するようになってから足を運ぶ事も無くなりましたが、今回は20回という節目の年に当るので久々に同窓会に参加する様なつもりで参加してきました。
いやー、20年てスゴいですよ。
単純に結成の時に産まれた子供はもう成人しているということになりますからね。
オーケストラメンバーの高いモチベーション、それを支えるファンや後援会の方々の有形無形の援助や励まし。どちらも揃っていなければこれだけ長い期間活動する事は出来ない筈です。
これからも末永く活動されることを祈念します。
久々にギターパートの人達と話をしてたらけっこうブログを見てくれてる人がいるみたいでびっくりです。結構色んな人が見てくれてるんですね〜。
ただ、
「なんだか更新してる時とそうでない時の頻度の差があり過ぎ」
という痛い指摘も頂きました、アイタタタ(ノ∀`):
もう少し安定して更新出来る様に努めます。
"習慣"の虜囚であるかぎり、その生まれ持った素晴しい能力が"花開く事"は無い。
" "で囲まれていた部分が空白になっていた部分。
この日はほとんど一発で当てる事が出来た。言葉をあてる前にチェアワーク等でいい集中状態で臨めたという事もあるし、学習が進んできたからという事もあると思うけど、自分の考え方に近い言葉だったからじゃないかなと思う。
以前のレッスンでの言葉とは丁度対になる感じ。空白のまま放置していたので言葉を当てはめてみると、
必要なものはほんの少しの"無"です。
私達の問題は何か"特別"なものを求めることです。
その"特別"なものとは実は
"習慣"のことなのです。
" "が空白部分。
アレキサンダーテクニークとは"習慣"との対決と言っても言い過ぎじゃないのかも知れない。
以前、ステファノグロンドーナという素晴しいギタリストのレッスンを受けた時にとても印象的な事を言っていたのだけど、それととても考え方が近い。その印象的な言葉とは「リンゴ」の例えで、
あなたはリンゴがどんな形で、どんな色で、どんな味であるかを知っている。
ただ今から食べるリンゴは昨日食べたものとは違うリンゴである。
アレテクでも「同じ体験は二度と無い」と良く言われることだけど、同じ体験というのはあり得ないのだ。昨日の自分とは体も違っているし、周囲の空間も時間も全く違うものになっている。その中でどんな動作を行っても(例えばギターを弾いたりとか)それは全く違うものに変っている筈なのだ。
それを違ったものに感じられないとしたらそこには"習慣"が蔓延しているということになる。
その習慣を認識するために必要なのが一瞬の"無"であると。
どんなことをやるにしても継続して続けていくというのはとても大切な事なんだけど、いつの間にか継続それ自体が目的になってしまう事が良くある。そうなってしまうと次第に継続する事に疲れが出てしまってそれを放棄してしまうこともこれまた良くあること。
今なにをやっているのかを確かめるためにほんの少しの間をとって自分の心と体に問いかける。
これが今の自分にとって最も大切な課題です。

今日は新しく体験の方が来られたので導入部分から復習の日でした。
先月は一回しかなく一ヶ月振りのアレテクだったのでいい復習になったかな。
内容的には前々回と同じでした。
修正点。
首の筋肉が硬直し頭が後ろに、下に動いた時に圧迫されていたのは声帯ではなく喉頭でした。
あと座骨の見つけ方。
座骨に触ってくださいといわれてよく尾てい骨を触る方がいるようです。
座っている時に両手をお尻の下に入れて手に当たる骨が座骨です。一度自分で触ってみてからその上に体重を載せる様にすると座り方が安定した気がします。何回も聞いている事だけど改めてやってみるといい復習になりました。
今日は久しぶりだったということと最近色々と体に無理がかかる事をやっていたせいかずっと椅子に座っているというだけの事がかなりしんどかった。知らない間に内筋が緩くなってたのかな。
ただ一番最後に椅子から立ち上がる動作を先生に補助してもらいながらやったのですが、それが今まででいちばん良く出来ました。
頭からの指令を下半身まで順番に伝達してゆっくりと立ち上がる。
立ち上がる動作の中でも全身に気が回っていて動作を追いかける作業が心地よく気がつけば立ち上がっていました。先生に聞いてみてもほとんど注意する点がないほど綺麗に立ち上がれていたようです。得てしてこういう調子が悪い時にいい動作が出来たりするのかな・・・
ただいい動作が出来た時にその幻影を追いかけてしまうとかえって出来なくなってしまうとので注意する様にとのことでした。いい音を出すということにも通じるなあ。
体験を積み重ねている内にこういう動作が多くなってくればいいですね。
久々に録音です。
ピアノの詩人と呼ばれているフェデリコ・モンポウのギターのための作品コンポステラ組曲からプレリュードです。セゴビアの委嘱によって書かれた所謂「セゴビアレパートリー」の中では一番最初に好きになった作品です。どことなく東洋的な音階や4度の和音が多用されていて耳に馴染みがあって聞きやすいというのがあったからかもしれません。
モンポウのピアノ作品はあまり派手なものはなく内省的な作品が多いですが、根強いファンも多いようでyoutubeでも色々と演奏を聴く事が出来ます。内なる印象とか歌と踊りとかギターで弾いても綺麗そうな作品が色々とあるのでいつかは何曲かソロとか二重奏に編曲してみようと思います。歌と踊りの6番はアリリオディアスのギター版が有名ですね。
自分の演奏を振返ってみて・・・
いいところもあるし当然良くないところもある。ミスノートとかの分かりやすいミスもあるしそれ以外にも。よく日常生活で場を読めと空気読めとか言われるじゃないですか、今飛び出すところなのかもうちょっと間を開けてから出ないといけないのかとか・・・それが出来なくても支障が無い時もありますが、それが出来ているとスムーズに仕事が進んだり会話が弾んだりする事がありますよね。そういうことが出来ていると結果的に断然好印象を持たれる様になるじゃないですか。話すのが苦手なのでスゴく不得手な部分なんですが。
やっぱ演奏においてもそういう空気を読む力というのが必要になると思うんです、今どういう場面でどういう音や間が必要でどれだけの力を出さないといけないのか。以前よりは大分マシにはなったと思いますがこういう部分でまだまだ至らないなと思います。
それ以外にも音の質とか。
指の関節が堅く、爪も堅い、瞬発力が足りないので音が太くて伸びない感じがあって、細く伸びやかな音が出しにくいなと感じます。なんとなくこん棒でぶっ叩く様な音がする時があるし。鞭ではたいた様なしなやかな音が出したいですね。まだまだやらないといけないことがありすぎる。先は長いです。
そしてモンポウによる自作自演。
音が深いです。作曲者による自作自演がネットで聞ける様になるとは・・・