銘器との邂逅
2012年 10月 01日
先日、大阪でハウザー二世という楽器を使って演奏する機会を頂きました。
ハウザーはドイツを代表する名工で四代に渡ってギター製作を行なっています。
ギタリストなら誰もが一度は憧れる銘器を使って演奏出来る機会なんて滅多にあるものではありません。嬉しさと恐れ多い気持ちが半分半分くらいで本番を迎えました。いったいどんな反応をしてくれるのだろうかと…
当日は藤村良くんが最初にソロで、続いて僕がソロ。最後に二人で二重奏という構成でした。ソロは二人ともハウザーを使わせてもらいました。自分のソロはソルのカプリス、タレガの小品を4曲演奏しました。
最初のソルの演奏に入る時何故か上手くいきそうな予感がしました。藤村君の熱演の後で会場も温まっていたのですが不思議に心が落ち着いていました。リハーサルの時には感じなかったのですが調弦している時にあまりにいい音がするので思わずにやにやしてたと思います。
最初に弾いたソルは自分で言うのもなんですがいい出来だったと思います。自分の作りたい音楽の方向性を楽器の方が先に察知してくれるような感じで、楽器が指し示した方向に音をポンポンと置いていけばそれで音楽が出来上がるような不思議な感覚。どこまでも透き通った音が会場に満ちていくようで演奏が終わってしまうのが勿体なかったです。
まあそれで調子にのってしまったのかなあ…タレガの方はちょっと駄目でした…
もともと不安を抱えていたのですが、ソルの方が上手くいったので楽器がなんとかしてくれるかな?なんて甘い気持ちを持ってしまったのがいけなかったのか、あそこは一度心を落ち着けて慎重に入らないとといけなかったです…楽器の反応も”ツーン”って感じでした。
”ソルの方はまあまあ出来てたから協力してやる、タレガの方はまだまだだな、やり直し”
って楽器に言われたような気がしました。自分がある程度しっかりとした方向性をもって臨まないと楽器の方も反応してくれないように思いました。ハウザー恐るべしです。
演奏後に北口先生が
”演奏者の力を越える楽器を扱うのは演奏者にとっても試練だ”
と仰ってましたが、その言葉の意味が骨の髄にまで沁みました。まだまだ自分の手に負えるような楽器ではなかったですが、その力の一端に触れることが出来たのはとても貴重な経験になりました。いつかこういう楽器に相応しい演奏家になれるように頑張ろうと思います。
ハウザーはドイツを代表する名工で四代に渡ってギター製作を行なっています。
ギタリストなら誰もが一度は憧れる銘器を使って演奏出来る機会なんて滅多にあるものではありません。嬉しさと恐れ多い気持ちが半分半分くらいで本番を迎えました。いったいどんな反応をしてくれるのだろうかと…
当日は藤村良くんが最初にソロで、続いて僕がソロ。最後に二人で二重奏という構成でした。ソロは二人ともハウザーを使わせてもらいました。自分のソロはソルのカプリス、タレガの小品を4曲演奏しました。
最初のソルの演奏に入る時何故か上手くいきそうな予感がしました。藤村君の熱演の後で会場も温まっていたのですが不思議に心が落ち着いていました。リハーサルの時には感じなかったのですが調弦している時にあまりにいい音がするので思わずにやにやしてたと思います。
最初に弾いたソルは自分で言うのもなんですがいい出来だったと思います。自分の作りたい音楽の方向性を楽器の方が先に察知してくれるような感じで、楽器が指し示した方向に音をポンポンと置いていけばそれで音楽が出来上がるような不思議な感覚。どこまでも透き通った音が会場に満ちていくようで演奏が終わってしまうのが勿体なかったです。
まあそれで調子にのってしまったのかなあ…タレガの方はちょっと駄目でした…
もともと不安を抱えていたのですが、ソルの方が上手くいったので楽器がなんとかしてくれるかな?なんて甘い気持ちを持ってしまったのがいけなかったのか、あそこは一度心を落ち着けて慎重に入らないとといけなかったです…楽器の反応も”ツーン”って感じでした。
”ソルの方はまあまあ出来てたから協力してやる、タレガの方はまだまだだな、やり直し”
って楽器に言われたような気がしました。自分がある程度しっかりとした方向性をもって臨まないと楽器の方も反応してくれないように思いました。ハウザー恐るべしです。
演奏後に北口先生が
”演奏者の力を越える楽器を扱うのは演奏者にとっても試練だ”
と仰ってましたが、その言葉の意味が骨の髄にまで沁みました。まだまだ自分の手に負えるような楽器ではなかったですが、その力の一端に触れることが出来たのはとても貴重な経験になりました。いつかこういう楽器に相応しい演奏家になれるように頑張ろうと思います。
by onkichi-yu-chi
| 2012-10-01 23:29
| おんきち